私が考えるフェチの意味

旧ブログ記事

フェチって言葉は、
“性癖” とか “性倒錯” って言葉ととても似通った意味で使われてる。
私自身もほぼ同意で使ったりしてます。

簡単に言うと、
一般的ではないモノ・コトに性的に興奮すること。またはその対象。

私さこの、”性的に” って所が引っかかるんだよね。
なんか異常感あるじゃん。

フェチってさ、誰しもが持ってるものだと思うんだ。
私は
「フェチはその人が産まれる時には既に素質を持っている」
と考えてるのね

イメージ的には、
人は誰しも産まれながらに色んなフェチの種を持って産まれてくる。
その種が人生を送っていく中で・歳を重ねていく中で
何かのタイミングでぴょんっと芽が出て、
そこに愛着や執着や情熱が注がれ続けると、
成長して花開いて、いずれ大輪の花々が咲き乱れる。って感じ。

芽が出た時点でおやおや?っと自覚する人もいれば
花が開いて初めて自分のフェチを自覚する人もいる。
フェチを自覚してから思い返したら「あぁ、あの時に芽が出てたのかなぁ?」と気づく人もいる。
幼い頃に芽が出て花開く事もあれば、20歳や30歳で芽が出て花開く事もある。
70歳や80歳で、かもしれない。

そしてフェチは1人につき1つとも限らない。
産まれた時点でみんなそれぞれたくさんのフェチの種を持っている。
だけど、全部が芽吹く分けじゃない。
はたまた種は持って産まれたけれど一生死ぬまで種のまま、
芽吹かないフェチだってあると思う。
フェチってね、そうゆうものだと思ってるんだ。

 

だからね、私が思う【フェチ】は、
『自分でもうまく説明できないけど、なんか、どうしようもなく心昂ぶるモノ・コト。』
”性的に” は無くていいと思う。

〜結果、性的にも興奮する。っていうのはあると思うけどね。
限定的でなく幅広い意味合いがいいなぁって思う。

 

そんなわけで、
【フェチ=性癖・性倒錯】っていう概念はもう古いんじゃないかしらと感じるの。
今はもう、
【フェチ=偏愛】なんじゃないかしらと。

偏愛(へんあい)っていうのは、文字の通り、偏って愛する事。

さっき言った通り限定的でなく幅広いもんとしたらさ、偏りの度合いも幅広いんよ。
4:6で偏ってる場合だってあるだろうし、1:9で偏ってる場合もあるでしょう。
もしかしたら10:0で偏ってるかもしれない。

偏って愛する事、それが偏愛。

ここでちょっと英語にでもしてみましょうか。

Fetishism(フェティシズム)は崇拝的な意味合いが強いのさ。元々ね。
私の考えるフェチよりかは狭い範囲と言いましょうか、なんと言いましょうか。

偏愛の意味合いで言うと、
Favoritism(フェイヴァリティズム)が近いと思う。
Favoritism は偏愛とか、えこ贔屓とかっていう意味合い。
今、世に出てるフェチたちはこっちの枠よ。
図みたいな感じ。

で、
ある人はそこから崇拝の域まで行くのよ。
「偏愛高じて崇拝になる!」だと思うんだ。
だとしても偏愛から崇拝になるまでのスピードは人それぞれだろうけどね。

 

なにが言いたいかってーと、
フェチは誰しもが持っている。
又は、持ち得るわけで、奇妙・異常なモノじゃないって事。
住む世界の違う人って感じじゃないって事です!
100人の人がいれば、そこには100以上フェチが存在し得る。
(※1人1フェチとは限んないからね♪)

 

で、それってその人の個性でもあると思うから、
”フェチがある事を恥ずかしい”
とか
”フェチを持っている人は異常だ!変だ!”
とか
思わないでほしい♡
って事が言いたかったのよ(๑¯◡¯๑)

フェチは人生のスパイスだと思うの。

最後に、
日本語の「フェチ」ってとても汎用性の高い言葉だとも思ってるから、
フェチの語源であるfetishismの方をベースに考察するとまたちょっと違ってくるとも思う。
ただ、私が普段から使っている「フェチ」と言う言葉の意味合いは
今日ここに書いた意味合いだよ。

日向結う。2023年9月リライト

コメント